米国の砂糖回帰のニュースをどう読む?―異性化糖をめぐる社会と科学のすれ違い
1. はじめに
前回のコラム(2025年10月7日号)では、「果糖の摂りすぎは体によくない?」というテーマを取り上げました。
果糖はブドウ糖とは異なる代謝経路を通るため、過剰に摂ると肝臓に脂肪がたまりやすいという報告がありますが、
それは主に高濃度の果糖を長期間与えた動物試験に基づくものでした。
また、果物に含まれる果糖は食物繊維やポリフェノール、ビタミン類とともに摂取されるため吸収が緩やかで、
通常の食生活では有害な影響はほとんど認められないと報告されています。
むしろ果物の摂取は、糖尿病や心疾患のリスクを下げることが複数の疫学研究で示されています。
つまり、「果糖=悪者」という単純な構図は誤りであり、問題はどんな形で、どれだけ摂るかにあります。
今週のコラムでは、果糖が含まれる異性化糖を話題にしてみましょう。
今までのコラムでも説明してきた異性化糖は、現代の食品産業を支える存在でありながら、しばしば「人工的」と受け取られ、社会的な議論を呼んできました。
2025年7月、トランプ大統領がSNSにこんな投稿をしました。
“Coca-Cola agreed to use REAL Cane Sugar.”
主要メディアはすぐにこの発言を取り上げ、「砂糖回帰(Sugar Comeback)」として大きく報じました。
“コカ・コーラが異性化糖からサトウキビ糖に戻す”――そんな見出しが並び、
「やっぱり人工的な甘味料はよくない」「昔の味が帰ってくる」といった声が広がりました。
当初、コカ・コーラ社はこの事実を認めていませんでしたが、
その後、サトウキビ糖を使った新バージョンの発売を示唆する発言が伝えられました。 このニュースは単なる製法変更というより、象徴的な意味を帯びた出来事として大きな関心を呼びました。
砂糖と異性化糖、どちらを選ぶか――
その判断基準が、いま改めて問われているのです。
2. “本物の砂糖”という言葉の力
では、なぜ「本物の砂糖」という言葉が、これほど人の心を動かすのでしょうか。
アメリカでは1970年代、砂糖から異性化糖への切り替えが一気に進みました。
トウモロコシを原料とする異性化糖は安価で扱いやすく、清涼飲料など大量生産を支える存在となりました。
しかしその便利さの裏で、「人工的」、「工業化の象徴」といった印象が広がっていきます。
一方、“Cane Sugar(サトウキビ糖)”は、「自然」「昔ながら」「安心できる甘さ」といったイメージと結びつき、
アメリカでは長く“本物の甘味”の代名詞とされてきました。
「メキシココーク」と呼ばれるサトウキビ糖版のコカ・コーラが人気を集めたのも、
科学的な違いというより、懐かしさや自然への憧れが理由だったのでしょう。
トランプ氏の「Real Sugar」発言は、こうした人々の記憶と感情を刺激しました。
甘味料をめぐる議論は、科学よりも、
人々の感情や価値観に訴える問題として再び注目されたのです。
3. 政治と市場がつくる“甘さ”の構図
「本物の砂糖」という言葉の背景には、実は政治や経済の思惑も隠れています。
アメリカでは、トウモロコシ産業が長年にわたり国の補助金で支えられ、
一方で砂糖の輸入には高い関税がかけられています。
このため、国内市場ではトウモロコシ由来の異性化糖が安価に流通する一方、
フロリダ州などのサトウキビ糖生産地が国産の“本物の砂糖”として産業的な存在感を保ってきました。
トランプ氏の「Real Sugar」発言は、こうした国内サトウキビ産業を象徴的に後押しするものと受け止められています。
一方で、健康志向や“本物志向”を求める消費者の声もこの動きを後押ししました。
そして、コカ・コーラ社はサトウキビ糖を使った新バージョンについて、
「製造変更ではなく既存ラインを補完するもので、消費者の嗜好に応える新しい選択肢だ」と説明したと伝えられています。
つまり、政治が生み出す構造と、市場が反応する価値観――
その二つの流れが交わり、“砂糖回帰”という現象を形づくっているのです。
4. 科学的には、違いはごくわずか
異性化糖については、以前のコラム(2025年9月2日号)で、その構造と製造法を紹介しました。
砂糖(ショ糖)はブドウ糖と果糖が結合した二糖類であり、異性化糖はその二つが結合せずに混ざった液体です。
つまり、どちらも同じ二つの単糖からできており、体の中では最終的に同じように分解・吸収されます。
代謝経路の違いはあるにせよ、健康影響を左右するのは「種類」よりも「摂取形態」と「量」だと多くの研究が示しています。
特に問題となるのは、異性化糖そのものではなく、それが使われる清涼飲料水やジュースなど、液体として摂取する糖分です。
砂糖であれ異性化糖であれ、どちらにも果糖が含まれるため、液体として高濃度の糖分を頻繁に摂ると、肝臓や脂質代謝への負担が大きくなります――ここが科学的に最も確かなポイントです。
それでも世の中の関心は、「どの糖を使うか」に向かいがちです。
“人工的”、“天然”、“本物”という言葉は、私たちの感情に訴えかけやすいからです。
一方で、科学が教えてくれるのはもっとシンプルな事実――
「糖の種類より、摂り方のほうがはるかに重要である」ということなのです。
5. 科学と安心が共存する時代
興味深いのは、トランプ氏自身がダイエットコークの愛飲者として知られていることです。
“本物の砂糖”を推奨する一方で、実際には人工甘味料入り飲料を常飲している――
この矛盾こそ、現代社会の縮図といえるかもしれません。
科学的に見れば、砂糖も異性化糖も、どちらもブドウ糖と果糖の混合体であり、
本質的な違いはほとんどありません。
それでも「Real Sugar」という言葉には、
多くの人が“自然で安心できる”というイメージを重ねます。
一方で、アメリカは科学的根拠に基づく制度やリスク評価が整っている国ですが、
数字だけでは説明できない“納得できる安心感”を求める人々も少なくありません。
科学と安心――この二つをどう共存させるかは、これからの社会に共通する課題といえるでしょう。
6. まとめ― 甘さを選ぶのは、科学か感情か
果糖や異性化糖の健康影響については、すでに多くの研究で明らかになっています。
有害なのは「糖の種類」ではなく、「量」と「摂り方」。
これは科学が一貫して示してきた事実です。
それでも私たちは、“自然”や“本物”といった言葉に安心を感じ、
ときに科学よりもストーリーを信じたくなります。
甘さをどう選ぶか――それは、栄養学の問題であると同時に、
文化や心理、そして社会全体の価値観を映す鏡でもあります。
科学が語る“事実”と、人が求める“安心”は、
これからも簡単には交わらないかもしれません。
けれど、その間を行き来しながら考え続けることこそが、
いまの時代における“甘さ”との賢いつき合い方なのではないでしょうか。
参考資料
- Reuters (2025, July 17). Trump says Coca-Cola agreed to use real cane sugar in US.
https://www.reuters.com/business/healthcare-pharmaceuticals/trump-says-coca-cola-agreed-use-real-cane-sugar-us-2025-07-16/ - NBC News (2025, July 22). Coca-Cola will launch version with U.S. cane sugar after Trump push.
https://www.nbcnews.com/business/consumer/coca-cola-us-cane-sugar-trump-rcna220181 - Stanhope et al., 2009. Consuming fructose-sweetened, not glucosesweetened, beverages increases visceral adiposity and lipids and decreases insulin sensitivity in overweight/obese humans. J. Clin. Invest. 20;119(5):1322-1334.
https://pmc.ncbi.nlm.nih.gov/articles/PMC2673878/ - Dreher, 2018. Whole Fruits and Fruit Fiber Emerging Health Effects. Nutrients, 28;10(12):1833.
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