料理教室ではなく「ラボ」と呼ぶ理由 ― 途中の判断を大事にしたい、という話
先週のコラムでは、
カルサイラボがなぜ少人数なのか、
定員を4人にしている理由について書きました。
人数を絞ったのは、
効率よりも、
「見る・話す・待つ」といった余白を
大切にしたかったからです。
今回は、その続きとして、
もう一つ、大切にしている考え方について書いてみたいと思います。
なぜ、あえて
「料理教室」ではなく「ラボ」と呼んでいるのか。
その理由を、整理してみます。
先に答えを決めすぎない、という進め方
一般的な料理教室では、
あらかじめ「正解」が用意されていることが多いと思います。
この分量で、
この手順で、
この時間加熱すれば、
同じ仕上がりになる。
それはとても親切で、
再現性の高い方法です。
一方で、カルサイラボでは、
最初から一つのやり方に固定しないことがあります。
というのも、
台所では毎回、条件が少しずつ違うからです。
素材も、道具も、
火の入り方も、
その日の体調や感覚も違う。
そうした中で大切になるのは、
正解を知ることよりも、
その場の様子を見ながら判断する感覚ではないかと感じています。
レシピは、考え始めるための地図
カルサイラボでは、
レシピ通りに進めることを、最初の目的にはしていません。
分量や工程は示しますし、
条件も、できるだけそろえます。
ただ、それは
「この通りに作ってください」という意味ではありません。
条件をそろえることで、
どこが違ったのかが見えやすくなる。
何を比べているのか。
どこを見てほしいのか。
判断のポイントを共有する。
レシピは答えではなく、
考え始めるための共通の地図。
そのくらいの距離感で使っています。
工程は決める。でも、判断までは決めきらない
料理には、工程があります。
生地をのばし、成形し、焼く。
この流れ自体は変わりません。
ただ、その中には、
小さな判断がいくつも含まれています。
どこまでのばすか。
どんな線を入れるか。
焼き上がりを、どこで止めるか。
同じ材料、同じ道具でも、
その判断は人によって少しずつ違っていていい。
体験教室では、
そうした判断の違いを、
あえて揃えないようにしています。
工程をなぞることよりも、
途中で何を見て、どう感じたか。
そのほうが、後から家で思い出しやすいからです。
「家庭で再現できる」とは、何を持ち帰ることか
料理教室では、
「家庭で再現できます」という言葉をよく聞きます。
カルサイラボでも、
特別な機材や材料は使っていません。
ただし、
「再現できる」という言葉を、
少し違う意味で使っています。
同じ味になる、ということよりも、
同じ考え方で判断できること。
今日は少し水分が多い。
今日は火が強い。
今日は甘さを控えたい。
そうした違いに気づき、
自分で調整できるようになること。
それが、
家庭で再現できる、ということだと考えています。
確かめる、という進め方
こうした進め方には、
私自身のこれまでの経験も影響しているように思います。
30代半ばまで、
実験を主体とした研究生活を送っていました。
条件をそろえ、
実際に手を動かして現象を確かめる。
うまく説明できないことがあっても、
目の前で起きている変化を見続けることで、
少しずつ輪郭が見えてくる。
体験教室で起きている
「まずやってみて、違いを確かめる」時間は、
振り返ってみると、
その延長線上にあるようにも感じています。
「教室」よりも「ラボ」に近かった
実際に体験教室を行ってみて、
印象に残っているのは、
完成した料理そのものよりも、
作っている途中のやりとりでした。
手を動かしながら、
様子を見て、
言葉を交わす。
教える、教わる、というより、
一緒に確かめている。
実験室というほど大げさではありませんが、
教室という言葉よりは、
「ラボ」に近い。
今のところ、
その呼び方が一番しっくりきています。
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カルサイラボでは、
少人数での体験教室を不定期に行っています。
詳細や申し込み方法は、
体験教室ページにまとめました。
ご都合や興味が合えば、
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